三月だというのに、まだ雪の頃(秋田市河辺赤平)
岩見三内&太平
The Kitadewa Tyaritabi Story
2005年。悲願の高校合格を果した。
長かった雪の頃。やっと春が来た。
心も気候も春になったら早速チャリ旅に出発だ。
副部長氏を招集したのは13時30分頃。
午後から行くとなると・・・・やっぱ仁別だろうか。
いや。正直いって仁別は飽きた。(飽き性なもんで
どーせだったら太平の奥の方まで行ってこよう。
しかし、この判断が本日最大のミスであろうことに気付くわけもなかった。
いつものように千秋トンネル→手形陸橋→柳田→太平八田と駒を進めた。
普段どおりに。太平地区は旧道が現存しており、
特に八田のあたりは、脇に水路が流れ趣き深い。
↑
県道28号線「岩見船岡線」(秋田市太平神田)
さて、太平の中心部「目長崎本町」に到着した。
ここは、戦国時代に永井広治という豪族が治めていた土地で、
その居城「舞鶴城跡」の標柱も建っている。
河辺の豊島氏とともに、安東氏に対して抵抗を重ね滅んだといわれている。
↑
永井氏の居館「舞鶴館跡」(秋田市太平目長崎本町)
此れより先は、私もチャリでは行ったことがない。
副部長に「この先、行ったことはあるのか?」と問うと。
「お前が行ったことがないんなら、俺も行ったことがない」と。
しばらく旧道を走ると小高い丘に神社を発見した。
「若宮八幡神社」というらしい。由来には次のように記されていた。
若宮八幡神社・秋田市太平中関字八幡野
1369年 永井左近将監 大江広元
相州鎌倉より下着し舞鶴城に住し太平七ヶ村を治む
守護神として鶴岡八幡宮をこの地に観請し 若宮八幡を創立
後 1602年 秋田城介安東氏(秋田実季)造営す
↑
永井氏の面影残す「若宮八幡」(秋田市太平中関)
この史跡は秋田の中世を語る上でも重要なものだろう。
私がこの社の存在を知らなかったことは恥ずべきである。
太平の旧道は走っていて楽しい。蛇行する轍はライダーの心をそそる。
さらにその狭い道がバス路線なのである。
↑
旧道は楽しいです。(秋田市太平黒沢)
やっと太平の最奥「山谷」に辿りつくことができた。
ここは素晴らしいバイパス路線が出来ていて旧道の面影はない。
↑
山谷付近の岩見船岡線(秋田市太平山谷)
この坂を一気に駆け上がると山谷小学校がある。
山谷番楽で有名な学校である。
↑
太平地区最東端の小学校「山谷小」(秋田市太平山谷)
もうしばらくすると「青葉台」というバス停があった。
そこで副部長と引き返すとか進むとかいう論争を繰り返した。
まぁ、時間も時間だしね。せめて私は秋田市との境まで行きたかった。
とりあえず進むことにした。野田牧場の入り口を通過すると・・・
秋田市と旧河辺町との境である。市町村合併したというのに、
境を表す看板はそのまんま。
↑
こっから河辺町。でも今は秋田市河辺(秋田市太平野田)
山道に入って、ここまできては岩見三内に行くしかないという結論が出て、
岩見三内に向うことにした。
↑
最高に寒い。(秋田市河辺三内字繋沢)
繋沢の集落を抜けると三内川が見えてきた。
↑
三内川は流れる(秋田市河辺三内)
副部長は岩見三内バス停脇の商店の自販機でコカコーラ一本を購入した。
我々は寒さと飢えに苦しみながら旧・河辺町中心部の和田へと道を歩んだ。
その中途、警察に「並列で走らないで下さい」と丁重に注意されたり、
トラックやダンプの走る車道を走ったりしながら、なんとか和田に到着。
国道13号線について一安堵した我々を待ち受けていたのは、
雪に埋もれた歩道であった。涙
やはり本日、岩見三内まで行ったのは間違いだったのだろうか・・・。w
無事帰還。
(第31回チャリ旅・岩見三内&太平成功)
2005年3月19日
:素材:
壁紙『雲立涌』
by平安素材「綺陽堂」様